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NHKが暴露したオウム事件の裏の犯人のひとり:元警察庁長官&元神奈川県警本部長 城内康光


 おっ、NHKも遂に暴露した!
なお、この事件については暗殺された(?)元刑事の「警察庁長官狙撃事件の怪」に詳しい。他には、オウム事件の裏の犯人のひとり:元警察庁長官 城内康光前警察庁長官の国松氏暗殺失敗?
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動画では

まとめ:中村泰が國松孝次長官狙撃事件の真犯人なのか
テレビ史を揺るがせた100の重大ニュースで真相公開【画像】

 国松警察庁長官を狙撃したオウム信者の小杉敏行巡査長は、本富士警察署の公安警察官で、ここはオウム事件を起こした安倍首相らの謀略拠点かつ捜査本部(隠蔽工作部隊)でもあった!神奈川県警だけでなく、警視庁の本富士警察署の公安も実はオウム実行部隊だった?
(※安倍晋三らの起こした地下鉄サリン事件「北朝鮮がやった」とみなされている大規模サイバー攻撃などのサイバーテロ事件についてはここ

どうも実際の犯人は創価学会の小杉敏行公安警察巡査長のようだ!でも、自白があるものの、証拠不十分で起訴できず。ただ懲戒免職にはなったが…。
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すると、こんどは東大出身の年老いたスナイパーが逮捕。(これはスピン?)
でも、この容疑者も証拠不十分で不起訴へ。
結局、時効で未解決事件に!
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さて、ここまでは準備段階として、本題に戻ろう。
(NHKのは削除されてたため他の人の残した記録)3月20日 19時16分
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タイトルは地味だが、内容的にはスゴイ内容だった。
 ありていに言えば「神奈川県警が坂本弁護士事件や松本サリン事件の犯人捜査をストップさせた
ほぼネットで通説の「オウム事件の裏の犯人のひとりに元警察庁長官の城内康光がいる」と断定したのと同じ!
パチンコの膨大な闇資金が北朝鮮に流れている捜査も当時の公安の城内警備局長は協力を拒否!
などなど、色んな疑惑がこの城内康光にはあった!

その疑惑をやっとNHKも暴露し始めたのか?
元警察庁長官の城内康光に関してわかっている事はまだ他にも色々あって、
例えば日本会議代表委員で笹川平和財団と近しい存在だと言う事。
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 なお、私は下記の現地取材で神奈川県警がオウムに関与している確証を得た!

「オウム菊地直子を隠蔽した神奈川県警とユニクロ・創価学会の闇」




 また、オウム事件の本質をNHK深夜放送の「アジアの星」に出演した中坊公平氏が言い当てていたが、坂本弁護士殺人事件に関し、この闇を豊田商事事件の実態とからめて推理していたのだ。


こんな豊田商事の実態を知られる前に豊田商事の会長がテレビの前で刺殺された。
創価学会・統一教会にのっとられたオウムも、その実態を知られる前に村井秀夫はテレビの前で刺殺されたのだ。(最近になって、ようやく、その裏で指揮していたのは安倍晋太郎、安倍晋三ら巣鴨プリズンコネクションの輩達であることがわかってきはじめたが
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 坂本弁護士一家も豊田商事の裏の実態である創価学会の闇をよく知っていた。
オウムのせいにして創価学会、統一教会の闇を追及しようとしてきた人たちを脅し殺していった事件。その裏で巨大な闇のマネーが北朝鮮に消えていった!それを元神奈川県警本部長&元警察庁長官の城内康光(日本会議代表委員)は隠蔽した。
ーー これがオウム事件の真相であった。

 豊田商事の被害者救済の中心メンバーの坂本弁護士一家(奥さんも回収作戦に宇都宮事務所の一員として参加)の事をわざとオウムと結びつけ、結局、オウム事件の1つに仕立て上げた、マスコミ、警察、江川紹子。
創価学会とやくざ(日本財団)の関係は日本のタブーのため誰も手をつけられなくて闇に葬らようとされているオウム事件の数々。
そこに天皇一族の日本財団が絡んでいたとは!
この闇は憲法に「天皇教」の絶対性が組み込まれている限り、絶対に明かされることはないだろう!

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NHKニュース
地下鉄サリン事件前に強制捜査の機会も
3月20日 19時16分

オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年。

 NHKが複数の捜査関係者への取材を進めたところ、地下鉄サリン事件の4年前に(※東京の)警視庁が“極秘捜査”を進めていたほか、事件の2日前に都内の教団施設を捜索するため、準備が進められるなど、事件の前に教団に強制捜査に入る機会があったことが明らかになりました。13人が死亡し、およそ6300人が被害を受けたサリンによる世界初の化学テロを防ぐ機会はなかったのか、NHKは、当時、オウム真理教への捜査に当たった複数の捜査幹部や捜査員への取材を進めました。その結果、事件の3年7か月前の平成3年8月、(※東京の)警視庁捜査1課が、平成元年に横浜市で起きた坂本弁護士一家殺害事件の捜査を極秘で進めていたことが分かりました。
“極秘捜査”は、「ロス疑惑」など数々の難事件に携わり、のちに捜査1課長となる寺尾正大氏の下、捜査員およそ10人が、佐伯こと岡崎一明死刑囚が事件に関与しているという情報を入手し、都内の教団施設などの捜査を進めていたということです。しかし、坂本弁護士一家の事件は、神奈川県警の管轄内で起きた事件で、当時は、警視庁に捜査する権限はなく、2か月で中断を余儀なくされていました。
さらに、平成7年にも、警視庁捜査1課が地下鉄サリン事件の2日前の3月18日に都内の教団施設に捜索に入るため、準備を進めていたことが分かりました。
NHKは、当時、捜査1課と東京地方検察庁との間で交わされたやり取りの内容を独自に入手し、それによりますと、地下鉄サリン事件の3週間前に都内で公証役場事務長の假谷清志さんが拉致された事件の捜査で、捜査1課の幹部が「都内の教団施設を3月18日にも捜索したい」という意向を伝えていました。
しかし、平成6年に起きた松本サリン事件を受けて、東京地検や警察庁は、教団が強制捜査に対してサリンを使って反撃に出るおそれがあるとして、都内だけでなく、サリンの製造が疑われていた山梨県の旧上九一色村の教団施設も含めて一斉に強制捜査に入るべきだという意見を伝えたということです。
協議の結果、強制捜査は一斉に行われることになり、ガスマスクなどの装備を自衛隊などから集めるために、時間が必要だったことから、3月22日に行われることが決まりました。
強制捜査は、20日に地下鉄サリン事件が起きたあと、予定どおり22日に行われましたが、結局、事件には間に合いませんでした。

“極秘捜査”の記録

地下鉄サリン事件の4年前に、警視庁捜査1課が平成元年に横浜市で起きた坂本弁護士一家殺害事件の“極秘捜査”を進めていたことが、NHKが独自に入手した元捜査員の日記から明らかになりました。日記には、捜査が始まって中断するまでの、いきさつや捜査した項目が記されていて“極秘捜査”の全容を知ることができます。
この日記は、警視庁捜査1課の元捜査員、小山金七氏が書き残したものです。小山氏は、平成12年に亡くなりました。
小山氏は、のちに警視庁捜査1課長となる寺尾正大氏から指示を受けて、およそ10人の捜査チームのリーダーとして“極秘捜査”に関わっていて、日記からは、捜査が始まって中断するまでのいきさつや、捜査した項目など“極秘捜査”の全容を知ることができます。一連の記述は、平成3年8月9日の欄の「寺尾理事官より神奈川県内の弁護士一家失踪事件の下命」という内容から始まり、地下鉄サリン事件の3年7か月前に、警視庁によってオウム真理教に対する“極秘捜査”が始まっていたことが分かります。
およそ2週間の日記には、「オウム真理教都内拠点系統図作成」や、「オウム真理教の関連出版書籍捜す」などと記され、教団や信者に関する情報を徹底して収集している様子がうかがえます。9月に入ってからは、「佐伯一明の内偵」という記述があり、のちに坂本弁護士一家殺害事件の実行犯と判明する佐伯こと岡崎一明死刑囚を、すでに事件の重要人物とみて内偵していたことが分かります。しかし、9月17日には、「神奈川県警から捜査内容確認のTEL」と記されていて、それ以降、捜査は縮小し、10月に中断されます。当時の複数の捜査関係者らによりますと、このとき坂本弁護士一家の事件を捜査する神奈川県警に、(※東京の)警視庁の“極秘捜査”の動きが伝わり、当時の警察の管轄権の問題から捜査を中断せざるをえなかったということです。

“極秘捜査”の元捜査員

地下鉄サリン事件の4年前に行われた警視庁の“極秘捜査”に携わった当時の捜査員がNHKの取材に応じ、当時、オウム真理教の都内の施設などの捜査を進めていたことを明らかにしました。
警視庁捜査1課の捜査員だった高野正勝さんは、地下鉄サリン事件の3年7か月前の平成3年8月から坂本弁護士一家殺害事件の“極秘捜査”に携わっていました。
高野さんは、捜査チームのリーダーだった小山金七氏の下で、都内にあるオウム真理教の施設の張り込みなどを行って、活動の実態を調べたということです。
複数の教団施設の周辺を歩きながら、敷地内の駐車場にとめてある車両の写真を撮影したりナンバーを記録したりして捜査を進めたということです。しかし、2か月後、小山氏から捜査が中断することになったと伝えられたということです。
高野さんは当時を振り返り、「オウム真理教はいずれ東京でも事件を起こす可能性があるとみて、当時、極秘で捜査を進めていた。もし、あのとき一歩踏み込んで捜査ができていれば、地下鉄サリン事件は起きなかったかもしれない」と話していました。

教訓はどう生かされたのか

オウム真理教による地下鉄サリン事件で浮き彫りになった課題に対して、警察は、さまざまな対応を取りました。
当時の警察は、サリンに対応できる装備が不十分で、防毒マスクなどを自衛隊から借りなければならず、強制捜査の準備に時間がかかったことから、毒物や細菌を使った生物化学テロに対処できる専門部隊や対策班が全国の警察に整備されました。
メンバーはおよそ500人で、テロが起きた場合、素早く原因物質を除去し、被害者の救出や避難誘導に当たります。
また、当時、化学兵器に関する知識が不足していたことから、毒物の研究や鑑定法の開発を行う科学警察研究所の化学部門を強化したほか、毒物を使った特殊な事件などを指導する「特殊事件捜査室」が設けられました。
さらに法律の整備も行われ、サリンやサリンのような毒物の製造や所持を禁止し、サリンを発生させた場合、最高で無期懲役とする罰則を設けた法律が成立しました。
また、当時は警察の管轄権の問題で広域捜査が課題になりましたが、平成8年に警察法が改正され、広域で行われる組織的な犯罪に対しては、警視庁と各警察本部が従来の都道府県単位の管轄区域にとらわれず捜査できるようになりました。
警察庁長官が複数の県警にまたがる広域事件の合同捜査を指示できるようにもなりました。
当時の検証作業に携わった警察庁刑事局の露木康浩審議官は、「宗教法人としてのオウム真理教がテロ組織へと変貌していくそのプロセスに直接切り込む手段が、当時は不十分だった。ああいう事件を2度と引き起こしてはいけないということを常に肝に銘じ、制度や組織体制の点検を行っていきたい」と話しています。
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オウム事件の背後に潜むもの

日本の闇を探る⑧ 09:43Add Star

不可解な行動をとる公安の謎

十五代警察庁長官の城内康光氏は警備局長出身、つまり公安からの出身です。十六代警察庁長官はオウムに狙撃された刑事局長出身の国松孝次氏。

1995年3月30日朝日新聞より当時の記事をみてみましょう。

警察庁長官、撃たれ重傷 自宅前、白マスクの男 計4発、自転車で逃走

30日午前8時ごろ、東京都荒川区南千住六丁目のマンション「アクロシティー」に住む警察庁国松孝次長官(57)が、男に腹部などを撃たれて重傷を負った。男は自転車で逃走した。警視庁は直ちに総合警備本部を設置して、都内全域に緊急配備態勢を敷いて男の行方を追う一方、殺人未遂などの容疑で公安部長を本部長とする特別捜査本部を置いた。国松長官は文京区日本医科大付属病院に運ばれた。東京消防庁によると、高度救急救命センターで手当てを受けたが、生命に別状はないという。事件後、都内の報道機関に「オウムに対する捜査をやめろ」などと犯行をにおわす電話があり、捜査本部が関連を調べている。

オウムに対する捜査をやめろ」と電話があったということは、城内氏によってオウム事件の捜査を抑えられていたのに、長官が国松氏に変わったことで本格的な捜査を始められてしまったことが、この事件の原因だったようです。

再度、『オウム帝国の正体』第3章 圧力 の中から公安に関する部分を抜き出してみましょう。

・公安警察は、八王子アジトで潜伏中の私たちの行動を監視していました。(略)どうしてもっと早く、捕まえてくれなかったんでしょうか…

・公安当局の泳がせ捜査が、事件の発生防止に繋がらず、新たな被害者を生み出したことは紛れもない事実である。

・捜査員たちは密かに、上九一色村の住民たちに接触したり、麻原被告をはじめ教団幹部の同行や都内のアジトを監視したり、信者を懐柔して、教団内部やその局辺にS(情報提供者)を養成するなど、時間をかけて捜査を進めてきた。

・公安当局の捜査員が少なくとも数人は潜り込んでいたようで、上九一色村の教団施設に対する強制捜査の時、神奈川静岡県警ではテレビの中継に映った信者の中に、同僚の顔を発見して驚きの声を上げたケースがあったという。

・昨年[1995]11月29日、名吉屋地裁で開かれた大内早苗被告の第3回公判検察証人として出廷した元教団幹部、満生均史被告は突然、「宗教関係を調べている“ある人”から頼まれて、松本サリン事件などオウムについて調べた。スパイ行為をして、スパイ容疑をかけられた」と告白し、関係者に衝撃を与えた。満生被告は依頼主を問われ、「名前は言えない」ど答えているが、その後の公安関係者のあわてぶりがら、満生被告は公安当局のスパイだった可能性が高いと見られている。

スパイと言えば、1994年暮れから1995年1月にかけて出回り、話題を集めた『松本サリン事件に関する一考察』と題する怪文書がある。「サリン事件はオウムである」と断言したこの文書の作成者は、未だに不明だが、捜査当局やマスコミの間では、公安関係者が書いたとする意見が強い。1994年暮れ段階で、松本サリン事件がオウムの仕業であると知っていた者は、麻原被告をはじめ犯行の実行グループなどごく少数の教団関係者だけであろう。しかも、サリン化学的な説明から上九一色村の教団施設内の情報、宮崎県の旅館の経営者拉致事件オウムロシアの関係まで言及しており、教団上層部でもそう簡単には書けない幅広い内容になっている。そうなると、複数の教団内部情報に捜査情報を加えて、公安関係者が書いたとしか思えない。つまり、その時点で公安当局のSがあれだけのレポートを書くほどの調査をしていたことになる。満生被告も法廷で、自ら松本サリン事件を調査し、内部レポートを作成した1人であることを認めている。この怪文書は、公安当局が警察庁上層部の消極姿勢に対し、マスコミを巻き込んで決起を促したものと見られている。

オウム真理教に対する強制捜査の方針が決定されたのは、昨年[1995]1月の国松孝次警察庁長官と吉永祐介検事総長のトップ会談であり、そこで摘発時の適用法令や取り調べ体制など具体策の協議に入ったと言われている。もし、怪文書が公安関係者の手によるものだとしたら、公安当局の奇策がまんまと成功したことになる。

・だが、逆に、公安当局が早い段階で、松本サリン事件とオウムとの関連をキャッチしていたなら、河野さんに対する“冤罪”はもとより、仮谷さん殺害、地下鉄サリン事件の発生を防げたのではないか、との見方も出てくる。

・公安当局がこうした情報を掴みながら、警察首脳の了解が出ないからと言って、わざと麻原被告の荒唐無稽な思想やカルト集団の狂気を面白おかしく書くことに、能力と時間を割いていたのは、あまりにも情けない。なぜ、警察当局はもっと早く、オウム真理教の摘発に乗り出さなかったのか。

こうしてみると、やはり公安の動きはおかしいです。

国松長官銃撃事件に関しては、2004年7月7日に、警視庁の元巡査長で会社員の小杉敏行、植村哲也、砂押光朗の3人と爆発物取締罰則違反の疑いで石川公一逮捕されました。小杉容疑者は「自分が狙撃した」と自供したものの、7月28日には「証拠が乏しく公判維持は困難」として処分保留のまま釈放されています。そして9月17日、処分保留のまま釈放された4人は嫌疑不充分として不起訴とされました。

※なお、この狙撃したことを認めた元巡査長の小杉敏行(創価学会?)を追って、「超極秘事項」を解明していった元巡査部長のジャーナリスト黒木昭雄氏は暗殺された?

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城内康光氏には他にも疑わしい言動があります。

カルトvsオタクのハルマゲドン『城内康光と利権』から引用します。

平成二年夏、自治大臣国家公安委員長に就任していた奥田敬和氏(故人)は、金澤昭雄警察庁長官から示された警察庁のトップ人事案に対し、異例のクレームをつけ、予定されていた城内康光警備局長の警察庁次長への昇任を頑として認めなかった。

〔略〕奥田敬和氏が城内氏に敵意を持ったには、それなりの理由があった。 奥田敬和氏は、その前年まで自民党国会対策委員長を務めていた。

おりから、パチンコ業界から莫大なヤミ資金が北朝鮮に流れ、その便宜を図ってもらう目的で社会党議員達に政治工作資金が提供されたとされる。いわゆる「パチンコ疑惑」が発覚、政界の焦点となっていた。

奥田氏は社会党の疑惑議員徹底追及の腹を固め、奥田情報網で情報を集める一方、警察庁に対して、治安上の問題を理由に協力を求めた。

この要請を受けた城内警備局長は、こともあろうに、パチンコ業界に多数の警察OBが天下っている事を理由に協力を拒否したのだ。この行為こそ、国益無視、省益優先の典型的な事例だ。

テポドンの開発資金を始め、生物兵器核ミサイルと、日本攻撃用に開発されている北朝鮮の兵器が、明らかに在日朝鮮人からのヤミ資金によって製造されていた事が、より明確になってきている今日、城内氏のとった警察官僚の、しかも警備責任者としての行為は改めて厳しく批判されるべきである。

そもそも警察キャリアは、天下国家あってのキャリアではないか。地方警察組織に対し、より高い次元での国家的見識を示すのが警察庁キャリアではないのか。そう云う意味では、奥田敬和氏が、城内氏の昇任に異議を唱えたのは当然の行為である。

城内氏はその後、次長に昇任、そして警察官僚のトップ警察庁長官へと登りつめるのだがその長官在任中、かつての威厳ある制服から郵便局の配達員と見間違える程と不評な警察官制服の変更、所持するピストルのメーカー変更など「警察利権」に積極的に関与したり、情実人事を徹底して実行した為、優秀な人材や、素直な意見を具申する人材などが一掃され、組織の沈滞化が急速に進行した。

パチンコ業界から北朝鮮への資金の流れの解明を「パチンコ業界に多数の警察OBが天下っている事を理由に拒否」とは、恐れ入りました。

しかも、その人物が後に、警察官僚のトップである警察庁長官へと登りつめるのですから、訳がわかりません。

ちなみに、城内氏が警察庁長官に就任した1992年9月に警察行政を監督する国家公安委員長の座にいたのは、森喜朗、三塚博、加藤六月と共に“安倍(晋太郎)派四天王”の一人と称された「塩爺」こと塩川正十郎氏でした。

そして、オウム事件当時の国家公安委員長は、2003年に引退した自民党の実力者で「影の総理」と呼ばれた野中広務氏。

余談ですが、その野中氏のバックには、どうやら創価学会がいるようです。

『オウム帝国の正体』(一橋文哉著)を読んでいたので、石川公一の件(『日本の闇を探る①』を参照)を知ったとき、「警察OBの大物」とは後藤田正晴氏かと思いました。しかし、『日本の闇を探る⑥』で触れたように、その人物とは城内康光氏だったようです。そして、その城内氏は日本会議の代表委員を務め、日本の政治に大きな影響を与えています。

さて、ここまでを一旦、整理すると「警察OB城内康光氏が現役時代、部下をレイプしたあげく愛人にした。それをオウムと関係のあった山口組の武闘派「後藤組」に知られ、脅迫されてオウム事件の真相を闇に葬った。その城内氏は、どうやら昔から北朝鮮とコネクションがあり、現在はユダヤロビーと組んで日本会議自民党と共に日本右傾化を推進している」となります。

(つづく)


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# by rakusen21 | 2015-03-20 23:29 | この世の闇に巣食う者たち | Comments(1)

今も残る裏社会の忍者とその歴史:風魔忍者と鉢屋衆(忍たま風俗館)

 以前、私達がツイートテレビで放送した「小沢一郎を殺せ」 で、その裏社会で暗躍していた忍者の歴史と現代への関わりを調べてくれた人がいた。

感謝、感謝!



また
というサイトのコピーもあった。

この方は丁寧にその現場にも足を運ばれて、コメントに下記のように残されていた。非常に貴重なコメントだったので、そのコメントを紹介し、この記事を終わります。

なお鹿島昇氏の「日本史のタブーに挑んだ男」の書籍より得られた内容のツイートもここに一部、紹介します。

歴史にまつわる私のツイートリスト(その一部)


引用開始 -------------
03. 五月晴郎 2011年10月15日 15:11:20: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
「水戸藩専用の本陣であった日暮玄蕃(ひぐらしげんば)の家は、小金小学校より約10m南というので探してみたが、面影はなく、人に聞いても知らなかった。」
水戸道中3馬橋~我孫子

平成17年10月30日(日)

―重文を股くぐり仁王像・馬除土手の面影もない小金牧―

(平成17年11月7日更新)

【本日の行程:街道距離14km】

馬橋駅(9時30分)→萬満寺(9時55分)→小金宿(11時15分)→日光東往還との追分(14時30分)→柏神社(15時10分)→我孫子駅(17時20分)
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・9時30分馬橋(まばし)駅に降り立つ。今日は一日中曇りの天気予報だ。前回真っ暗になったので、道を馬橋駅入口まで戻り、馬橋という地名の由来となった馬橋を見たが、水路のような川とともに何ら風情は感じられない。

・右手東京ベイ信用金庫の前に「栢日庵立砂(はくじつあんりゅうさ)の居宅跡」と書かれた松戸市教育委員会が立てた白い案内標識がある。「旧水戸街道繁盛記」には「大川立砂」となっているが、東葛地方の有名な俳諧人で親子ほどの年の差があった小林一茶から爺と慕われ、一茶が度々訪れている。

・その向いに分家の大川米店があったはずだが、マンションとドラッグストアになっていて、店の人も知らない。少し離れた店の人が確かにあったと話してくださった。少し行って左手に大川の表札の旧家、萬満寺の向いに大川病院、その先に大川歯科があるが、関係があるのだろうか。

・道は萬満寺に突き当たる。萬満寺の仁王門の両側を守る仁王像は、眼光鋭く、巨大で筋骨隆々の体躯が黒光りしており、迫力満点だ。国の重要文化財に指定されている。毎月月末、右の仁王像の股くぐりで賑わうそうで、昨日まであったというから惜しかった。わずかの隙間しかないが、本当に大人がくぐれるのだろうか。

萬満寺仁王像(国重文)

・萬満寺を右に曲がってゆるやかな上り坂となる。6号線に合流する八(はち)ケ崎交差点の角右手に文化3年(1806)の道標がある。「左水戸街道」「右印西道」と刻む。

・そのまま6号線の右手を歩いていると、安楽亭の先に思いがけず松戸市教育委員会の「一里塚」の案内標識が目に飛び込んできた。予期せぬ発見にうれしくなる。

・二ツ木交差点の一つ先信号左手に蘇羽鷹(そばたか)神社がある。鳥居の右手にある天保11年(1840)の出羽三山等供養塔には「松杉をほめてや風のかをる音 はせを」と刻まれているのを発見した。芭蕉句碑だ。これも予期せぬことで、大発見をしたような気になる。境内には力石もある。神社の裏は、縄文時代前期(6000年前)の二ツ木向台遺跡になっている。

蘇羽鷹神社

・道は神社の向いの二股を右に入っていく。分岐点に「水戸街道」の案内標識があり、「現在地から北方の6号線との交差点までの約900mは当時の道形を残しています。」と書かれている。

・少し先、武蔵野線のガード下をくぐって行く。なるほど、幹線道路の喧騒から解放されて静かではあるが、大きなマンションが建ち並び、昔の風情はほとんど感じられない。けやき通りを横切って坂を上っていくと左に江戸屋酒店がある。この向いにも水戸街道の案内標識がある。この辺りはやや旧道の面影を感じる。

江戸屋酒店付近(右に「水戸街道」標識)

・国道6号の交差点に突き当たり、左に寄り道すると、常行院がある。何故か三つ葉葵の紋がある。墓地入口には、宝暦年間の古い六地蔵が並ぶ。

・国道6号の交差点に戻り、国道6号を横切って進む。

・暫らく行くと、右手に、新しいが門構えの立派な永妻家がある。家の前の案内板によると、屋号「あめや」で、水戸街道小金宿で古いのれんを誇る飴の製造販売業者だった。先祖には、大川立砂の門人もいて、小林一茶も宿泊したという。

・左手に一月(いちげつ)寺がある。鎌倉時代初期の創建で、江戸時代には、青梅の鈴法寺とともに関東地域の普化宗諸派を統括した。虚無僧で有名な寺だ。

・左手の古い連子格子の鈴木家は、江戸時代は玉屋という屋号で小金宿の旅籠を営んでいた。この建物は徳川時代後期の旅籠の原形をとどめているという。

小金宿旧旅籠玉屋

水戸藩専用の本陣であった日暮玄蕃(ひぐらしげんば)の家は、小金小学校より約10m南というので探してみたが、面影はなく、人に聞いても知らなかった。

・小金小学校バス停前、梅澤家の庭には、よく見ると、茂みに隠れるようにして、「明治天皇小金宿御小休所」と書かれた碑が建っている。これも大発見だ。

・その先左手東漸寺は、参道が長く、本堂までに三つの門がある立派な寺だ。ここにも三つ葉葵の紋がある。関東十八壇林の一つの名刹だ。

東漸寺

・道は、サティの前の交差点で右に曲がる。その右手北小金駅方面の側に文化5年(1808)の大きな道標がある。「平賀本土寺」と書かれており、北小金駅方向に直進すると、常盤線の先に本土寺がある。

・ここで一歩は、サティに飛び込んだ。さっきからトイレを我慢していて破裂寸前だったのだ。

・スッキリしたところで、綿貫書店に行ってみた。御主人は、野馬奉行の綿貫夏右衛門の子孫だという。「元は「月見里」と書いて「やまなし」と呼びました。桓武天皇から続いた家系でしたが、家康から綿貫という姓をもらいました。私で15代目です。綿貫家はさっきのサティの向い辺りだったといわれています。私は教師をしていましたが本屋は私の代で始めました。よくいろんなことを聞いて来られます。古文書類は、県の文書館に預けました。私は古文書が読めなくて・・・。」古文書というのは、大学で勉強しても、実際に庶民の字は、崩し方に個性があってなかなか読めないそうだ。「野馬除(よけ)土手?水戸街道沿いには残っていませんね。」「日暮玄蕃の家?梅澤家の隣辺りでした。子孫に遊び人がいて歌にまで歌われています。小金小学校入口の少し南の東側にある大塚家が屋号は井筒屋といいますが本陣だったと名乗っています。」と、地図を書きながら話に夢中になって、お客さんの釣り銭を間違えてしまう始末。これでは商売の邪魔だと、まだまだ聞きたい気持ちを抑えて退散した。

・再びサティに戻り昼食。サティの2階とデッキでつながる向いのビルに小金宿と小金牧の由来の解説が書いてある。小金牧は、古代律令制の官牧が起源で、徳川家康は、古代以来の牧場を整備、野田市から千葉市花見川区に及んだ広大な土地の小金牧の管理を綿貫氏に任せたのが野馬奉行の綿貫家の起こりだ。

・サティ前の右折から再スタート。右折した直後左手に道標が二基ある。新しい方は「右 水戸道」「左 なか連山道」、古い方は「右水戸海道」「明和五年」(1768)と読める。

・小金交番の交差点を横切ると銀杏並木になり、左右はマンション群だ。下り坂が続き、上り坂になってまもなく根木内交差点で6号線を横切る。

・根木内交差点の次の交差点から先は下り坂になる。

・根木内城址橋を渡ると緩やかな上りになり、道が左に曲がって右に大きく曲がる。右の角に「馬頭観世音」の文字塔が倒れている。その横に地蔵がある。

・再び左に大きく曲がる右手に、須賀工業の研修所があり、その下に宝暦12年(1762)の青面金剛と享保9年(1724)の庚申塔がある。その先のバス停に「庚申塚」とあるのはこれのことか。

庚申塚

・左手に行念寺がある。元禄5年(1692)の如意輪像などがある。

・中新宿(なかしんじゅく)バス停を過ぎ、いつの間にか流山市に入っている。左手に、青面金剛と聖徳太子と書かれた碑がある。

・左手に香取神社がある。江戸初期創建、旧向小金(むかいこがね)新田の産土神だ。一里塚跡の碑があり、一茶の句「下陰をさがしてよぶや親の馬」が書かれている。境内には古い庚申塔もある。

香取神社(鳥居左に一里塚跡碑)

・柏市に入り、今谷上町(いまやかみちょう)の左手民家の前に土手のようなものを見付けた。「これこそ野馬除(よけ)土手だ。」と思った一歩は、道行く人に聞いてみたが、残念ながら野馬除(よけ)土手という言葉そのものの理解が得られなかった。一歩は、なま道を歩いたとき五香の先で見た野馬除土手跡を思い出していた。(百街道一歩のなま道3参照)

・「南柏駅東口」と書かれた交差点手前角にある稲荷神社は、今時珍しい茅葺だ。

茅葺の稲荷神社

・その一つ先の交差点右手に、今谷上町八坂神社があるが、その前に「水戸街道と松並木」と書かれた案内板がある。野馬奉行綿貫夏右衛門が水戸侯から資金を得て、両側に千本の松を植えたのが松並木の始まりだったという。つい最近まで、松が残っていたようだが、今はもう見られない。

・左が日光東往還の交差点右手には、中嶋家、たんば家?と大きな家が続く。ここは、日光東往還との追分で、左の日光東往還を行くと関宿(せきやど)を経て雀宮で日光道中に合流する。この辺りは、野馬土手の木戸があったというが、今は、少し先右手豊受(ゆたか)稲荷神社の前の「新木戸」というバス停に名残をとどめるのみだ。

日光東往還入口

・左手に神明神社がある。案内板によると以下のとおり。明治政府は、殖産事業として徳川幕府の下総牧場であった小金牧と佐倉牧を開墾した。そして開かれた土地には、初富(はつとみ)(鎌ヶ谷市)、二和(ふたわ)(船橋市)、三咲(みさき)(船橋市)、豊四季(とよしき)(柏市)、五香(ごこう)(松戸市)、六実(むつみ)(松戸市)、七栄(ななえ)(富里村)、八街(やちまた)(八街町)、九美上(くみあげ)(佐原市)、十倉(とくら)(富里村)、十余一(とよひと)(白井市)、十余二(とよふた)(柏市)、十余三(とよみつ)(大栄町)と、順番に美しい地名が付けられた。この地柏市富里は、かつては豊四季の一部だった。武士を始め次男、三男や変革により職を失った入植者がこの神社を創建して心のよりどころにしたという。

・東武野田線の高架下をくぐると、柏の市街地になる。

・繁華街の中心である柏駅入口近く、右手柏神社の前には、「水戸街道の木戸」と書かれた案内板があり、「小金牧」と、「野馬土手」の解説が書かれている。牧と村の出入口に馬が入ってこないように木戸が作られた。木戸があった所が柏一番地だという。

・柏神社は、立派な神社だ。入口の所に、大きな銀杏の木があり、庚申塔も並んでいる。宝永4年(1707)の文字が読める。

柏神社

・左手サンサン通りの交差点を渡った左側角の駐車場前に「明治天皇柏御小休所」の碑がある。

・16号線手前左手にこんもりした森が見える。ここは、諏訪神社だ。「奥にもいろんな末社がりますよ。」と、境内で話しかけてきた女性が「豊四季にも諏訪神社があります。」と語る。

・柏公園の表示がある非常に大きな交差点は、その名も「旧水戸街道入口」。ここで16号線を横切る。

・前方に玉姫殿のおとぎの国のような建物が見える。旧道はこの手前で常磐線に寸断されている。やむなく常磐線を跨ぐ陸橋を行く。

・線路伝いに北柏駅方向に向かう途中、左手に、馬頭観世音菩薩がある。道標を兼ね「な可れやま道」と書かれているように思う。

・「北柏入口」の辺りの道は複雑だ。6号線とアサヒビール工場にはばまれているので、曲がりこむように歩いて、アサヒビール工場の前を右折、「ちがね橋」バス停の前の通りに出る。

・その先をずっと上って行くと右手に北柏駅がある。上りはそのすぐ先まで続き、下りになる。

・夕闇迫る根戸の集落の辺りは、古い大きな家が多く、落ち着いた佇まいだ。旧道らしさという点では本日一番だろう。

根戸の集落

・左手に東陽寺がある。緑に包まれた落ち着いた静かな空間が広がる。本堂の建物も立派だが、その横に広がる庫裏と庭の芝生が御殿のようで目を見張った。

東陽寺

・右手に妙蓮寺がある。案内板によると、ここには我孫子市指定文化財、仁阿弥道八(にんあみどうはち)作「陶製仁王像」があるそうだ。

・右に大きくカーブすると、最初の信号左手に、祠が見える。二十三夜塔があり、その横に何故か折れた道標のようなものが重ねて置いてある。

・国道6号を渡って、なおも356号を行く。常磐線が近づいて来る。「台田」というバス停だが、左右は畑なのに、前方左手に巨大なマンション群が建っているのが印象的だ。

・常磐線を再び陸橋で跨ぐと我孫子駅も目前だ。真っ暗な中、我孫子駅に行く途中、八百屋さんで見たこともない巨大なサトイモを見付けたので土産に買い求めた。「セレベスの親」と書かれている。

・我孫子宿の探訪は、次回の楽しみとし、本日は、我孫子駅までとする。


04. 五月晴郎 2011年10月15日 15:23:00: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
小金城(千葉県)
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所在
 総武流山鉄道、その名も「小金城趾」駅から徒歩10分程度。駅から見て東側にあたる大谷口歴史公園がかつての小金城跡である。ただし、本来の小金城は広大な面積を占める巨城であり、他にも旧城域の遺構が部分的に残っているというが、今回は公園だけの見学にとどまった。

沿革
 「大谷口城」とも呼ばれる。関東の名族・千葉氏を支えた重臣・原氏のそのまた家臣にあたる高城氏の居城。築城は天文6年(1537年)、高城胤吉によると伝えられる。主家をしのぐ勢力を誇った高城氏は、小田原北条氏が下総に進出してくるとこれに従い、他国衆に名を連ねて各地を転戦した。下総屈指の実力者が居を構えた城にふさわしく、その規模はいくつもの丘陵地にまたがる巨大なものである。しかし北条氏の滅亡後に廃城となり、二度と再建されることはなかった。現在の小金城跡は、戦後の開発による変化が著しく、大谷口歴史公園など一部の遺構を除けば在りし日の姿を偲ぶことは難しい。

見聞記
 2010年1月30日訪問。実は家からかなり近いところにあるお城で、前々から一度行かんといかんなと思っていた。いや、別に近くたって見に行く義務はないのだろうけれども、一応。

 常磐線を馬橋で乗り換え、流山鉄道に乗って小金城趾駅へ。宅地化が進んでいるとはいえ、ところどころに畑も残り、まずはのどかな風景である。
 駅の東口から出、城跡のある大谷口歴史公園へ向かう。駅前の道を右に歩き、運動公園のある突当たりを左折すると、あとは道なりに歩いていけばよい。途中、道の右側に木が茂った微高地が見え、「大谷口馬屋敷緑地」という地名の看板が出ているが、これも城の遺構に含まれる。細長く削平されたような土地で、道側がわずかに盛り上がっているのは土塁の跡にも見える。それにしても「馬屋敷」とは面白い地名で、城のための軍馬を飼う場所だったのか、それとも馬の飼育を担当する武士の屋敷があったのか。

 馬屋敷からもう少し先に進むと、目当ての大谷口歴史公園に出る。木々に覆われた背の低い丘で、一見したところは何の変哲もない森林公園でしかない。しかしこれこそは、下総の大城郭・小金城の在りし日の姿を今に伝える貴重な史跡であり、土地所有者の厚意により歴史公園としての保存が可能となったものである。都市化の波に洗われる場所では、このような有徳人に巡り合わない限り、戦国の城跡が生き残ることは難しいのだろう。
 大谷口歴史公園は、かつての小金城内では金杉口と呼ばれていた虎口の跡にあたる。これは城の北側の出入り口であったらしい。入口付近に木でできた簡単な冠木門が復元(?)してあるのは、門であった当時を表現しているのだろう。発掘調査により様々な発見があったらしく、ところどころに詳しい説明の看板が立っているのはありがたい。
 ただし遺構が大規模に残っているわけではなく、一見したところ城跡とは分かり辛いかもしれないが、例外として障子堀跡がある。底に1か所、敵の動きを阻害するための間仕切りが設けられた堀である。小田原北条氏の勢力圏で多用された技術であり、高城氏が北条氏の傘下に入ったことと無関係ではないだろう。ただし、肝心の障子(間仕切り)部分は保存のため土に埋め戻してしまったようで、現在ではただの空堀にしか見えないのはちょっと残念。

 遊歩道に沿って緩やかな丘を上っていくと、背の低い土塁に縁取られた方形の空間に出る。ここが大谷口歴史公園の中心であり、昔は曲輪の一角だったのだろう。土塁は高さも幅もそれほどの規模ではないが、説明板によれば外側に空堀が設けられていたため土塁を大きくする必要はなく、身を隠す程度のものでしかなかったとのことである。
 別の説明板では、航空写真を利用し、かつての城域が図示されていた。これによれば、まさしく巨城としか表現しようのない、圧倒的なスケールを持つ城であったらしい。このほとんどが宅地化してしまったのか…改めて、人間という生き物は過去の上に現在を積み重ねて生きているものだなと思う。

 もう少し先に進むと、一段下がったところに畝堀の跡が現れる。空堀の中に幾条もの畝を作り、堀底に侵入(転落)した敵兵の動きを止めるための工夫で、先に見た障子堀と同じく北条系の城郭ではおなじみの存在だ(この城跡では畝が一つしかないものを障子堀、複数のものを畝堀と呼称しているらしい)。当城では比較的明瞭に畝が残っているとのことで、楽しみにしてきたのだが…実際に見てみると、発掘以来数年を経て堀底に土が溜まってしまい、畝はほとんど見分けがつかなくなってしまっていた。ネット上で公開されている写真によれば、数年前までは明瞭に保存されていただけに、無念極まりない話である。ただし見方を変えれば、城などというものは絶えざる補修作業がなければ保ち得ないのだ、ということの証明にもなりそうだ。畝堀の溝掃除に駆り出されて、ぶつぶつ言いながら作業をしていた昔の人の姿が浮かんでくるような。

 金杉口方面の遺構はこのくらいだが、折角なのでもう少し足を延ばして大勝院へ。これは高城氏によって、祈願寺として当地に招かれた由緒ある寺院で、「遠矢山大勝院」という珍しい寺名が武将の庇護の歴史を物語っている。往時に比べると寺の規模はかなり縮小しているらしいが、それでも広壮な境内に樹齢500年のイチョウ、700年のヤマザクラなどがそびえる、雰囲気のあるお寺さんだ。 
 また、寺の由緒を開設した説明板には、宅地化の推進により小金城(大谷口城)の遺構を「破壊」した不動産会社が名指しされており、地域の開発にあたって当寺との間に何らかのいきさつがあったことをうかがわせる。詳しい事情は分からないから何とも言えないが、やはり創建当初から小金城を守護してきた存在として、城の運命には特別な思いがあったのかもしれない。

 帰りはまた馬橋経由だったのだが、折角なので万満寺に寄っていくことにした。馬橋駅から徒歩5分程度、鎌倉時代からの由緒を持つ古刹である。天文年間には小金城主高城氏が京都の大徳寺からこの寺のために僧を招いたこともあるという。夕闇迫る中、風情のある伽藍を歩くのは気持ちのよいものだ。寺内では何といっても山門の仁王像が素晴らしいが、軒にしつらえられた獅子の木彫りなどもユーモラスで独特の表情をしている。
 寄り道ついでに、万満寺の隣にある王子神社にも参ってきた。こちらは特に予備知識もなく、本当にふらりと立ち寄っただけなのだが、境内の一角に並ぶ庚申塔が秀逸であった。青面金剛も踏みつけられている魔物も三猿も全てが味わい深く、見入ってしまった。有名なお堂や仏像も勿論よいものだが、こういう何気ない石像で「掘り出し物」があるとやった!という感じですね。ただ単に見て楽しいだけでなく、当時の人々の世界観や信仰心について考えるきっかけにもなり、一粒で二度おいしい。こういうところが神社仏閣の(本来とは別の意味での)ありがたさではないかと思う。

小金城アルバム 
http://www.toride.com/~roshiashi/koganephoto.html

小金城主・高城氏の歴史

05. 五月晴郎 2011年10月15日 15:39:56: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
小金城(大谷口城・松戸市大谷口)
(小金城鳥瞰図)


小金城はこの地の豪族で原氏の家老であった高城氏の居城で、戦国時代の下総地方を代表する巨城であった。 (略)

 高城胤吉は享禄3年(1530)から7年の歳月をかけてこの城を築いたという。比高20mほどの台地を空堀によって堀切り、郭を複雑に配置している。残念ながら、そのほとんどは現在では宅地化されてしまい、馬場曲輪の一部のみが「大谷口歴史公園」としてわずかに整備されている。小金城の落成の式典では、佐倉城主の千葉昌胤も訪れ盛大な宴が張られたという。(略)

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「鎌倉時代に金先禅師によって創建されたと伝わる一月寺。元々は青梅の鈴法寺と共に関東地方の普化宗諸派の本山で、いわゆる時代劇で馴染み深い虚無僧の拠点といった寺であった。明治4年(1871年)太政官布告によって普化宗は廃止となり一月寺は廃寺となったが、昭和30年代に日蓮正宗に改宗し、更に”いちげつでら”から”いちがつじ”に読みを変えて再興された。」

「天保9年(1838年)小金宿の商家に生を受けた竹内廉之助とその弟哲次郎は、尊皇攘夷の急先鋒となった水戸天狗党の挙兵に参加。哲次郎は敵対する幕府軍によって負傷し、24歳の若さで自害して最期を遂げるが、廉之助は幕府に捕らわれの身となって土浦に投獄される。後に釈放され謹慎の身となるが、大政奉還によって世の中が大きく動き始めると、後の赤報隊隊長となる相楽総三と運命の出会いを果たして赤報隊に参加する。赤報隊については以前の記事に詳しく書いたので参照してほしいのだが、竹内廉之助とは後の金原忠蔵のことだったのだ。追分戦争で致命傷を負い非業の死を遂げた金原忠蔵が小金宿の出身だったとは…この事実を知った時にはちょっと身震いがしたよ。」

06. 五月晴郎 2011年10月15日 15:58:54: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
>≫3≫≫4 >>5
は、フォロー元記事の中の
「小沢一郎の知る闇1/2創価発祥の地:風魔一族の系譜」
「小沢一郎の知る闇2/2創価発祥の地:風魔一族の系譜 」

を聴きながら読むと(フォロー元記事も、投稿記事も)いいですかね。

07. 五月晴郎 2011年10月15日 18:33:12: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
金竜山一月寺

鎌倉時代の正嘉年間に創造され開基は金先(●先)居士である。
居士は正嘉2年(1258)10月13日入寂。
普化宗旧記一月寺の項によれば、次の如し。
開山は金先古山禅師也。金先と言うは人皇88代聖帝深草院の治天に建長の頃、紀州由良の法灯国師御入宋して帰朝の時普化禅師の四居士宝伏、国佐、理正、僧恕同船して我朝に至る宝伏居士暫く山城宇治の辺に居をしめ普化の禅を融通せんと庵室を結んで行住座臥の法容偏に普化の遺風を慕う居士専ら尺八を吹いて始祖振鐸の話に準拠す。
時に中秋の夜川辺にて一曲を催す。
其夜万里雲なく月光河水を照すこと金竜波におどるに似たり、爰において頓に水辺を起し一端をそめて一天清光満地金竜波と言句を設けたり其頃頭陀あり。
金先と名付く、宝伏の法莚につらなり倶に尺八を奏し行脚修行して所々を経巡り東に下り下総国小金の宿に止り光陰をすぎしむ。
然るに宝伏居士年を経て卒しぬ。
金先其法統をついで妙音また奇なり、聞く五感六欲の昔迷を照し本来無一物の順縁を結ふもの多し、髪に一宇を造立し宝伏の遣意に任て山を金竜山と号し寺を一月寺と号す。
此時の執権北条平経時、金先の碩徳を尊んで造立の大且那として之を経営し金竜山一月寺と言う。此の開山則金先禅師なり。
金先を以て菰僧の基とす。
「尺八筆記」には其後宝伏卒し金先一宇を造立し、宝伏の遺言により山を、金竜山と号し月は一翰万境を照す、普化の異名を取って一月寺と号す、普化を祖として益々尺八を吹き宝伏の素志を伝えん事を欲す。
正嘉二戊牛の春三月勅諚によって参内し尺八を奏しければ、天機叡慮ありて精舎、地並に禅師号を賜ひあまつさえ宸翰を染められ金竜山一月寺とす。
同年10月13日金先寂す。其徒金先の愈をつぎ二世の住職となる。
二世鼓岩了波のとき北条長時朝臣随喜し給ひ、新に堂塔を造営し霊仏庄園を寄附し給う。
また亀山天皇の文応元年(1260)三浦の一族戸部某其領地を没取され、家臣数十人と共に一月寺にかくれ行脚修行のうち、春が巡って北条時頼に召出されて旧主にかえった。
また文明年間(1470~1486)50世住職覚祐の時代北条家没落で、堂中破損し寺領没落されたのを51世住職松滴と、二代の住職を助けて寺を再建したのが、狂僧小烏坊と言われる。
小烏は身長6尺3寸頭髪6尺6寸に及んだと言い、「文明の頃の人、頭髪は身に等し道を行く事、甚だ早く或る時箱根権現にて尺八を吹きしかば山谷鳴動す、吹終って八尺有余となり光明を放って去るといえり時人、多門天皇の化身なりと言う」一月寺の寺歴は同寺が慶応年間に焼けた為、殆ど不明であるが開山以来第115世は長田逸平と言い、その代で明治4年の廃宗となったが後にその娘婿が第116世として、一月秀興と名乗りその息正空117世をっいだ後また正空の兄がその跡をっいだが後逐には、寺は創価学会に売渡された。
また天文年中小金城落城して、一月寺破損したので大谷口から風早庄に移った。
この時豊臣秀吉が寺院保護の為「一銭切の制本山を下附した(万願寺に現存。
当時は方願寺の支配下にあった)之は矢張り明暗寺が興国寺の未寺である如く一月寺も万願寺の末寺となり指示を仰ぎ住職の任免をされていた。
一月寺最後の住織は宵海蚊竜で天保13年寂以後は住職なし。
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「罪を犯した武士が普化宗の僧となれば、刑をまぬがれ保護されたことから、江戸時代中期以降には、遊蕩無頼の徒が虚無僧姿になって横行するようになり、幕府は虚無僧を規制するようになった。」
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一月寺と虚無僧の暮らし

松戸には昔すこし風変わりなお寺があったのを知ってますか?今回はそんなお寺と住民のお話です。

●どこからでも来い!

江戸時代の小金町には、普化宗金竜山一月寺という大変風変わりなお寺がありました。別名虚無僧寺といわれたこのお寺は、お経を読むものもなく、仏事らしいことはさっぱり、カラスがカーカー朝から鳴いているだけというお寺だったそうです。ただ虚無僧といわれる武士の平服に紺黒五条の袈裟をかけ、深編み笠をかぶり、尺八を吹きながら行脚、托鉢をする半俗半僧、有髪の人々がどこからともなく集まり、そしてまた去ってゆくという、日本昔ばなしにでてきそうな感じだったそうです。

●もしかして迷惑寺?

一月寺は全国の普化寺院7派67箇所の中心的な位置にいました。お寺の住職は虚無僧と違って、普化宗門の宗主なので頭を丸め、香衣を着ることもありました。しかし前述のように仏事を行なわなく、経典の代わりに尺八を吹いている為、寺院活動での収入はありませんでした。主な収入は房総3ヶ国各村々の喜捨でした。それも、みすぼらしい虚無僧が托鉢に来ないように、という迷惑御免料という形で喜捨されたようで、昔の虚無僧の社会的な位置が低かったのが分かります。

現在の一月寺

虚無僧寺で現存しているのは全国で一月寺だけで、由緒ある寺として松戸市小金に今でも住宅地にまぎれてひっそり建っています。

虚無僧とはなんぞや

唐代の風狂僧鎮州普化和尚の生き方にならい、世間は虚仮で実体がないと観じ、心を虚無にし、尺八を法器とし、尺八を吹くことで禅の奥義を窮めんとしたことから名付けられた。実際には、禅僧としての活動はせず、尺八を吹いて金銭を乞う遊芸人にすぎない者や、自由に旅をできる特権を生かし、浪人や無頼の徒が身を隠す手段に利用した。ぼろをまとって物乞いをしたので暮露や、こも僧ともいわれた。のちには美服を着用し、ビロードに金糸縫取りの尺八袋をもつ伊達姿の虚無僧も現れたという。「徒然草」にも言及されており、今もってテレビの時代劇や、街頭で大人気のキャラクターといえるでしょう。
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起源と歴史

元々「一月寺(いちげつでら)」は、武蔵野国新町の鈴法寺と共に普化宗の触頭として関東総本山という地位にあった。伝承では正嘉年間(1257年 - 1259年)に金先古山禅師によって創建されたと伝わる。徳川幕府の庇護もあり、隆盛を極めた。

『虚無僧略縁記』(年代不明・星咬輝蔵)には以下のような記載がある。

「宗旨を元祖とたて普化禅宗と申、然るに其弟子虚無僧金山金松覚て常に、どうしやうと言う、竹壱尺八寸(原註歩)穴の数12ある笛を吹、是尺八の初也、元祖有時船遊びしたまえば俄に霧ぶり四方かすみ、船頭是を悲めば普化和尚彼宙を取て観音経を祈させたまへぱ、霧はるゝと言う。真後八百年以前に日本の元祖法灯国師和尚比伊奈と云俗弟子を連れて入唐したまい、普化和尚に尊拝す。比伊奈は金山金松の笛を伝授し、後和尚を伴ぴ日本に帰り、比伊奈居士は諸国行脚を志し下総国にて清浄の地を求め小金といぶ所に金龍山一月寺と申寺を建立す(後略)」

ところが、明治政府の方針により、幕府と縁の深い普化宗自体を廃止されたので、以降僧侶は僧侶資格を失い、近くの万満寺の助力を得ながら在家が管理する形となっていた。

昭和30年代(1955年 - 1964年)、妙縁寺総代(後に法華講連合会第三代委員長)であった佐藤悦三郎の仲立ちにより、日蓮正宗に改宗、「いちがつじ」と読みを変更して現在に至る。

ちなみに普化宗時代の寺宝は松戸市に寄贈されており、現在松戸市立博物館などで見ることが出来る。
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08. 五月晴郎 2011年10月15日 18:53:11: ulZUCBWYQe7Lk : bxtHsuzmZA
鉢屋衆は八切止夫がいう契丹系日本原住民と重なるような印象ですね。江戸期の大名では加賀の前田とか。
フォロー元記事中の橘孝三郎や立花隆の「橘」氏は、契丹系という指摘を八切止夫がしています。
上記YouTube内の「小金城を支配した一族」は、製鉄集団と関わりが深い印象が強い。

ーーーーーーーーーーーー引用終わり





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# by rakusen21 | 2015-03-20 00:05 | 歴史の真実 | Comments(0)

天皇のデスノート~オウム、福島原発爆発などの犯人に迫ると超巨大カルト教団の影が!


順ちゃん和枝のすっぴんトーク 2015年3月18日(水)

 ひょっとしたことから、笹川平和財団(CIAやくざ日本財団)が、安倍首相らを動かし、フィリピンなど東南アジアの少数民族支援やテロ事件などにも加担していたことがわかってきた。それは元々、CIAのスパイとして岸信介らA級戦犯が解放されてからの戦後の話だと思っていた。
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 ところが実は太平洋戦争自体が昭和天皇が自分の野望を実現させるために仕組み、戦争ゲームに負けそうになると、陸軍に責任転嫁して、近衛文麿など真実を知る人達を暗殺した事がわかってきた。

一部引用 ーーー
◎近衛文麿は服毒自殺ではなく薬殺された。
◎指令を出したの吉田茂と昭和天皇である。
◎近衛文麿は出頭してすべてを話す決意を固めていた。
◎近衛家は篤麿、文麿、文隆の三代に渡って暗殺されている。
◎近衛文麿を破滅させるシナリオは、15年戦争ぐるみの壮大な
 ものである。
◎近衛文麿が首相になった直後に、盧溝橋事件を起こす計画だった。
◎近衛文麿が首班の時に、日中全面戦争の拡大化を図るシナリオだった。
◎近衛文麿が首班の時に、三国同盟締結、大政翼賛会結成、
 汪兆銘傀儡政権、武力発動の帝国要綱が作成決定されるシナリオだった。
◎近衛文麿に関する史料はほとんど全て改竄されている。
◎『近衛上奏文』も『近衛・マッカーサー対談』の外務省史料も、
 『近衛文麿の手記』も『失われた政治』も捏造である。
 近衛文麿が創設した近衛家の史料を収めた陽明文庫も盗掘されて
 いるだろう。
◎近衛文麿による画期的な新憲法起草案は、御用学者によって
 わざと曲解されている。
◎藤原菊と山本ヌイの手記は捏造である。
◎近衛文隆は吉田茂の指令によってソ連に抑留され、
 日ソ国交回復と同時に薬殺された。
◎鳩山一郎は、吉田茂に動かされていた駒に過ぎない。
◎鳩山一郎による日ソ国交回復も、吉田茂のシナリオである。
◎近衛文麿暗殺の主役は松本重治と牛場友彦、共演者は風見章、岸道三、
 後藤隆之助、山本有三。友情出演G2チャールズ・ウイロビー、
 ソ連代表部テレビヤンコ。
◎野坂参三は吉田茂と共謀していない。(吉田茂が嫌い)
◎野坂参三は独自のルートで昭和天皇のために尽くした。
◎尾崎秀実が一番信頼していたのは野坂参三である。
◎野坂参三は田布施村王朝に恩義を感じ、昭和天皇のために尾崎秀実を
 使い捨てにした。
伊藤博文、吉田茂、昭和天皇は近代史上不世出の三悪人である。
◎防衛庁に職員として潜入していた秦のように、田布施村王朝の草が
 逆情報活動している。
山本五十六と近衛文麿の暗殺は連動している。二人は2・26事件直後に、吉田茂と昭和天皇のデス・ノートに記名されたと思われる。近衛抹殺指令には朝日新聞の緒方竹虎と嘉治隆、NHK、白洲次郎、松本重治、牛場友彦、岸道三、風間章、後藤隆之介、山本有三らは、全員がグルになって協力している。近衛を追い詰めた上で『自殺する』という風評を流し、近衛が周囲の制止を振り切り我意を通して『自殺した』、というシナリオを演じている。近衛の家族を除く全員が共犯者、謂わばアガサ・クリステイ―の『オリエント急行殺人事件』状態である。中でも主役を演じた松本重治は、晩年になってしつこいくらいに偽証している。
・・・・・・
山本五十六と近衛父子抹殺工作の総指揮を執った吉田茂は、伊藤博文の再来である。伊藤博文は、孝明天皇・睦仁父子を抹殺しクーデターを成就させた、田布施王朝の始祖である。貧困のどん底にあった田布施村ゲットーの人々は、解放されるやいなや保守反動に突っ走った。クーデターは山間の不毛な地に押し込められていた彼らを、広大で肥沃な関東平野にある将軍の居城へといざなった。大室虎之祐は千代田城のあまりの広さと豪華さに驚き、歓声を上げて走り回った。彼らは新しいゲットーに日本の粋を集め、これでもかと豪華絢爛な装飾を施した。それはお召列車の過剰装飾にまで及んだ。
ムシロ一枚で外気を防ぐようなどん底の生家に生まれ育った人々は、権力の座に座るとある者は個人財閥となり、ある者は広大な別邸を複数所有した。彼らは広大な大名屋敷をより取り見取りで物色した。それらは華族令によって伯爵邸や男爵邸と呼ばれるようになった。そして彼らは食い詰めた武士や元旗本の見目良い(きれいな)娘たちを、千代田城に連れてきて慰み者にした。
大室寅之祐の息子の大正天皇の妃がここかから誕生した貞明皇后この『千代田遊郭』に騙されて連れて来られ、ひどい目に遭わされて以来、田布施村ゲットーを不倶戴天の敵として憎悪した。彼女は西園寺八郎に無体なことをされたときに悟った。こいつらにとって自分は道具なのだ。もうこいつらをやるか、自分がやられるかそのどちらかしかない。そして彼女は第二の戊辰戦争を画策する。結果、敗れた貞明皇后は、戦後間もなく亡くなっている。昭和天皇のデス・ノートに、『謀反人の貞明皇后(朱貞明)は戦後に心臓麻痺で急逝する』と書かれていたのである。『東郷(朴)茂徳は秘密財産隠匿工作の後、獄中死』とも書かれていただろう。
ーーー引用終わり
 すなわち世界から日本の役割を俯瞰して見ると、天皇は明治維新以来、日本人を金融奴隷化して、その富を世界の金融マフィアらにも一部分配し、天皇家自体も日本銀行や日本赤十字、日本郵船を通じて海外の銀行に不正蓄財し、私腹を肥やしてきたのだった。

 それでは、オウムや福島原発のイスラエルによる爆破の要因を作ったのは誰だったのか?
 島津論文によると、安倍晋三首相の犯罪が書かれていたが、安倍首相や自民党右派や創価学会を操っていたのは笹川平和財団(CIAやくざ日本財団)であることがわかっている。

と、いう事は、戦前の体制はほとんどそのまま形を変えて残されている事より、実行犯はそのまま笹川平和財団(日本財団)が行い、その指令は天皇またはその周辺から発せられていることがわかってきたのだ。




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# by rakusen21 | 2015-03-18 20:53 | この世の闇に巣食う者たち | Comments(0)

日本財団(統一教会)に操られる国会議員や文化人

 下記の大元のソースが文字化けしてたので
ミラーサイトがわりに転載し、
その他、関連する情報をメモとしても追加しました。
 なお、この下記のサイトでも


かなり具体的に書いてありましたね。

 ただ、気をつけるべきは、戦後の支配体制の構造は戦前と結局、変わっていない、と言う事です。単に敗戦でアメリカが日本支配のトップに出てきた、って事だけです。

よって、戦後の下記の構図を忘れないように!
e0069900_20440963.jpg
 さらに天皇閨閥の組織(日銀など)はアメリカやヨーロッパをお金で動かす金融マフィアらとも繋がっていることに注意しないといけません。

 なお結果的に、このページは
CIAやくざ日本財団」とCIAが操る統一教会、そこの言いなりになる政治家や文化人の一覧みたいな形になってしまった
 (^^;

 へー、週刊誌なども以前は色々、貴重な情報を暴露していたんだ!


■現職国会議員128人の
「勝共連合・統一教会」関係度リスト

(『週刊現代』99.2.27号から)
秘書=勝共連合から送り込まれた統一教会員秘書の人数
①=「勝共推進議員」(1990年4月1日現在)
②=「1988年勝共推進議員教育報告書」(1988年12月19日現在)
③=「1988年総支部活動報告所」(1988年12月15日現在)
④=「支部結成」、貢献ランク(A~Dで、Aの方が高い)
⑤=「安保セミナー参加者」
⑥=「勝共推進議員の集い(3月6日)出席者結果」
⑦=「世界平和連合」設立発起人
⑧=「旧ソ連共産党からの財政支援疑惑に関する請願紹介議員」
勝共推進議員名簿(衆議院編)
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
町村信孝
(自民・前文相)
         (11の質問について、すべて否定)なぜ、こ
のような質問をされるのか理解に苦しむ
佐藤孝行
(自民・元総務庁長官)
    今回の質問には回答できません(電話にて回
答)
中川昭一
(自民・農水相)
   ノーコメント(電話にて回答)
鈴木宗男
(自民・元国土・沖縄庁長官)
         国際勝共連合から選挙応援を受けたことはあ
るが、セミナー等は出席せず(電話にて回答)
武部 勤
(自民・党副幹事長)
    国会議員になる以前に韓国に行き、教義につ
いて聞いたことはあるが、それだけ(電話)
佐藤静雄
(自民・元建設政務次官)
     故渡辺美智雄先生の勧めで、集会には出たが、
セミナーは出ず。秘書は脱会者の雇用経験有
鳩山由紀夫
(民主・党幹事長代理)
        実態がわからず集会等に出たことはあるかも。「世
界平和連合」設立発起人の件も同様。(電話)
島津雄二
(自民・元厚相)
       つきあいも接点もありません。なぜ、名簿に
名前が出ているのか、わからない(電話)
鈴木俊一
(自民・元厚生政務次官)
          選挙時の集会に国際勝共連合の人が出入りしていたこと
があるが、それだけ。非常に迷惑(本人が電話回答)
菅原喜重郎
(自由)
      5~6年前、自民・民社の先生方と一緒に集
会には出席。教義セミナーは案内だけと記憶
玉澤徳一郎
(自民・元防衛庁長官)
       選挙で応援した他の議員が国際勝共連合と関
係があるので、間違われたのでは(電話にて)
伊藤宗一郎
(無・衆議院議長)
     代議士本人と連絡が取れないので、回答でき
ません(電話にて回答)
三塚 博
(自民・元蔵相)
   (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
愛知和男
(自民・元防衛庁長官)
     事務所サイドで知りうる限り、国際勝共連合
とは関係ありません(電話にて回答)
佐藤敬夫
(民主・元運輸政務次官)
   過去はともかく、いまはまったく関係あり
ません(電話にて回答)
御法川英文
(自民・元国土政務次官)
          勝共推進議員ではない。名刺広告は出したかもし
れないが、実態を知らなかったため(電話)
鹿野道彦
(民主・元農水相)
     自民党時代は選挙応援等で関係あり。セミナーに
出たかもしれないが、いまは無関係(電話)
渡部恒三
(無・衆議院副議長)
         衆議院副議長の立場上、回答しません(電話
にて回答)
坂本剛二
(無所属)
      議員になる以前から派閥(三塚派)の関係でつき
あいがあったのは事実だが、表面上のもの(電話)
中山利生
(自民・元防衛庁長官)
   霊感商法のことなど何も知らず、「反共」に賛同。
セミナー等に参加したが、誓約書は書かず(電話)
額賀福志郎
(自民・前防衛庁長官)
     あまり深くは関係ない(電話にて回答)
丹波雄哉
(自民・党政調会長代理)
          名前が出ること自体、迷惑。個別の質問への
回答は控えたい(電話にて回答)
船田 元
(自民・元経企庁長官)
       コメントは遠慮させていただきたい(電話に
て回答)
神田 厚
(民主・元防衛庁長官)
      訪韓のついでに教義セミナーは受けたが、誓約書
は出さず。集会は党の政策説明のため出席
尾身幸次
(自民・前経企庁長官)
     一度、教義について話を聞いたことはあるが、共
感できず、その後は無関係。誓約書も書かず
中曽根康弘
(自民・元首相)
      統一グルー
プに貢献
(再三の取材要請にもかかわらず無回答)
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
小渕恵三
(自民・首相)
        (統一教会系新聞といわれる)『世界日報』は購
読しているが、そのせいかも(電話にて回答)
小坂憲次
(自民)
        勝共連合から会合の誘いは受けるが、つきあって
いない。セミナー出席の記憶もない(電話回答)
羽田 孜
(民主・元首相)
    セミナー等は(秘書が)代理出席したのでは
ないか(電話にて回答)
村井 仁
(自民・元大蔵政務次官)
    勝共への
推薦状
いまはつきあいありません。そういうことでご
了承いただきたい(電話にて回答)
高島 修
(自民・元経企庁長官)
      某議員の紹介で勝共連合から選挙応援を受け
た関係で教義セミナーは受講。集会は出ず
桜井 新
(自民・元環境庁長官)
       勝共連合の女性スタッフの話を聞いてやった
ことはある。集会には出席したかどうか・・・
中尾栄一
(自民・元建設相)
       15~16年前に勝共連合の会合に一度、出たこ
とはあるが、文鮮明氏とは面識なし
与謝野馨
(自民・通産相)
 統一グルー
プに貢献
閣僚を拝命している関係で、すべて(アンケ
ート等は)お断りしている(電話にて回答)
越智通雄
(自民・元経企庁長官)
 勝共支部
・顧問
いっさいノーコメント(電話にて回答)
粕谷 茂
(自民・元沖縄・北開庁長官)
      (11の質問について、すべて否定)
高橋一郎
(自民・元経企政務次官)
勝共支部
・顧問
十数年前、地元の支部集会に秘書が数回出席。
勝手に支部顧問の肩書をつけたようだ
小林興起
(自民・元労働政務次官)
      (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
柿澤弘治
(自民・元外相)
    (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
小澤 潔
(自民・元国土庁長官)
    現在、過去ともいっさい関係ない。誘いはあ
るが、すべて断っている(電話にて回答)
鳩山邦夫
(民主・副代表)
      (11の質問について、すべて否定)
島村宜伸
(自民・前農水相)
    新人時代、声がかかり他の議員と渡韓したが、
セミナーはなかった。集会には参加経験あり
伊藤公介
(自民・元国土庁長官)
     多忙のため回答できません。少なくともここ数
年はいっさい関係ありません(電話にて回答)
石川要三
(自民・元防衛庁長官)
          関係した記憶はまったくなく、セミナー、集
会などにも参加経験はない(電話にて回答)
鈴木恒夫
(自民・元環境政務次官)
         いっさいノーコメント(電話にて回答)
小泉純一郎
(自民・前厚相)
       いっさい関係ありません。東京、地元とも教
会派遣の秘書はいません(電話にて回答)
原田義昭
(自民・前厚相政務次官)
       思い当たる事実がまったくないので、回答す
る気になりません
藤井裕久
(自由・元蔵相)
         (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
田中慶秋
(民主・党国対副委長)
      (11の質問について、すべて否定)友人にセ
ミナー会場に連れていかれたが参加せず
亀井善之
(自民・元運輸相)
   (11の質問について、すべて否定)
江口一雄
(自民・元運輸政務次官)
    今回は見合わさせていただきます(電話にて
回答)
石橋一弥
(自民・元文相)
       いっさいノーコメント(電話にて回答)
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
松永 光
(自民・元文相)
  統一グルー
プに貢献
20年以上前、反共団体との認識で『推進議員
の集い』に参加経験が1~2回ある
加藤卓二
(自民・元労働政務次官)
       元になっている捜査資料を見ていないので、
回答しようがない
杉山憲夫
(自民・元建設政務次官)
         アンケート取材には、いっさいお答えしませ
安倍基雄
(自由・元文部政務次官)
      過去に付き合いがあったのは事実だが、現在
はいっさいない(電話にて回答)
綿貫民輔
(自民・元建設相)
    十数年前の総選挙で、手伝いたいとの申し出
があり、何度か手伝ってもらったことがある
萩山教嚴
(自民・党副幹事長)
          アンケート取材には、いっさいお答えしませ
長勢甚遠
(自民・党副幹事長)
         多忙のため、回答できません
森 喜朗
(自民・党幹事長)
       アンケート取材には、いっさいお答えしませ
古屋圭司
(自民・元法務政務次官)
        故安倍晋太郎氏の紹介で、セミナー、集会に
参加。初選挙時、雑用係5人を受け入れた
武藤嘉文
(自民・元総務庁長官)
          (11の質問について、すべて否定)約10年前、選
挙応援の申し出があり、2~3人を受け入れた
藤井孝男
(自民・前運輸相)
        先代(参院議員の故・丙午氏)までさかのぼ
って確認したが、いっさい関係ありません
村田敬次郎
(自民・元自治相)
    多忙のため、回答できません
青山 丘
(自由・元自治相)
       統一教会
会員
議員は統一教会会員ではありません(その他
の質問には無回答)
稲垣実男
(自民・元沖縄・北開庁長官)
       いっさい関係ありません(電話にて回答)
伊吹文明
(自民・前労相)
         (11の質問について、すべて否定)
柳本卓治
(自民・前労働政務次官)
          いっさい関係ありません(電話にて回答)
中山正暉
(自民・元郵政相)
         アンケート取材には、いっさいお答えしませ
前田 正
(改ク)
        (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
中山太郎
(自民・元外相)
          (11の質問について、すべて否定)
左藤 恵
(無・元法相)
   (11の質問について、すべて否定)統一教会の
発展を応援する活動はしていない
牧野隆守
(自民・元外務政務次官)
       現在、関係はありません(電話にて回答)
石井 一
(民主・元自治相)
     統一グルー
プに貢献
日朝議連会長をしていたこともあり、韓国系
の統一教会とは関係がない(電話回答)
原 健三郎
(自民・元衆議院議長)
          日本人妻
連盟会長
(11の質問について、すべて否定)文鮮明の
悪口を言って選挙妨害された
井上喜一
(自由・元総務政務次官)
         (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
中西啓介
(自由・元防衛庁長官)
   統一教会とは無関係でありますし、名前が挙がっ
ていることに当惑しております
奥野誠亮
(自民・元法相)
     教義セミナーには勧誘をうけたが出席しなか
った。「議員の集い」には出席したことがある
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
相沢英之
(自民・元経企庁長官)
    (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
細田博之
(自民・元経企庁政務次官)
       アンケート取材にはいっさいお答えしていま
せん(電話回答)
竹下 登
(自民・元首相)
         統一教会とはまったく関係がない(電話回答)
平沼赳夫
(自民・元運輸相)
  (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
橋本龍太郎
(自民・前首相)
       (11の質問についてすべて否定)
加藤六月
(自由・元農相)
        統一教会、勝共連合とは一切関わりをもっていな
い。名刺広告を出したこともない(電話回答)
栗屋敏信
(無所属)
   アンケート取材にはいっさいお答えしていま
せん(電話回答)
谷川和穂
(自民・元法相)
     防衛庁長官時代、選挙応援にきてくれたので
秘書の肩書を与えた(11の質問は否定)
池田行彦
(自民・元外相)
          (11の質問についてすべて否定)統一教会と
も勝共連合とも一切関係がない(電話回答)
亀井静香
(自民・元建設相)
    アンケート取材には、いっさいお答えしてお
りません(電話回答)
中川秀直
(自民・元科技庁長官)
        (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
河村建夫
(自民・元法務政務次官)
          「勝共推進議員」とはまったく関係ありま
せん
高村正彦
(自民・外相)
       弁護士としての関係がかつてあったが、今は
何の関係もない(FAXによる本人回答)
木村義雄
(自民・元厚生政務次官)
   夫人がアジア
婦人連合会員
回答できない。理由も答えられない(電話に
て回答)
大野功統
(自民・元郵政政務次官)
          統一教会とはいっさい関係がありません。(電
話にて回答)
関谷勝嗣
(自民・建設相・国土庁長官)
      原理セミナーの誘いを受けおかしいと思い、
断った。「議員の集い」には出席した
越智伊平
(自民・元農水相)
         勝共推進議員とは、以前にも現在も一切関係
がない
山崎 拓
(自民・元建設相)
         統一教会との関係は一切ない。「勝共推進議員」
も知らない(11の質問についてすべて否定)
麻生太郎
(自民・元経企庁長官)
     (統一教会との関係についてはすべて否定)
古賀一成
(民主・元経企庁政務次官)
      (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
古賀正浩
(自民・元通産政務次官)
         (11の質問についてすべて否定)統一教会に
ついては何も知らない
古賀 誠
(自民・元運輸相)
          統一教会とは全く関係がない。名前が出るこ
とが心外である(電話回答)
目見庄三郎
(自民・前郵政相)
  (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
坂井隆憲
(自民・元労働政務次官)
         「勝共推進議員」の会合に出席した記憶はな
い(11の質問についてすべて否定)
久間章生
(自民・前防衛庁長官)
          (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
虎島和夫
(自民・党政調副会長)
     宗教問題に関しては、回答を控えさせていた
だきます
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
松岡利勝
(自民・元農水政務次官)
   統一グルー
プに貢献
この件に関して、こちらから回答することは
一切ありません(電話にて回答)
園田博之
(無・元官房副長官)
     先輩議員の紹介で子どもの権利条約の陳情に来
たのが最後で、以降いっさい関係がありません
東家嘉幸
(自民・元国土庁長官)
         アンケート取材には、いっさいお答えしませ
畑英次郎
(民主・党副代表)
      (11の質問について、すべて否定)
衛藤征士郎
(自民・元防衛庁長官)
   セミナー受講、集会参加経験あり。アルバイ
トとして雇ったが、意に沿わず解雇した
中山成彬
(自民・元文部政務次官)
    以前、反共の意味で世界平和連合に関係した
が、今は一切関係ない(電話にて回答)
江藤隆美
(自民・元運輸相)
        いっさい関係ありません(電話にて回答)
堀之内久男
(自民・元郵政相)
       (11の質問について、すべて否定)
保岡興治
(自民・元大蔵政務次官)
        (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
仲村正治
(自民・元沖縄開発政務次官)
          統一教会であれ、特定の団体に関するアンケ
ートには、お答えしません(電話にて回答)

勝共推進議員名簿(参議院編)
議員名
備考編集部からの取材に対する回答
椎名素夫
(無所属)
          「勝共推進議員」とは、まったく関係があり
ません
岩崎純三
(自民・元総務庁長官)
          統一教会とはいっさい関係がありません(電
話回答)
中曽根弘文
(自民・元通産政務次官)
        (11の質問についてすべて否定)「勝共推進議
員」とはどういうものか知らない
倉田寛之
(自民・元通自治相)
          (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
北澤俊美
(民主・元農水政務次官)
          (11の質問についてすべて否定)
石渡清元
(自民・元労働政務次官)
        (再三の取材要請にもかかわらず無回答)
青木幹雄
(自民・参党幹事長)
       当時の事情を知る秘書が辞めたためお答えで
きません(電話回答)
吉村剛太郎
(自民・元郵政政務次官)
         統一教会との関係はまったく身に覚えがあり
ません(電話回答)
吉田之久
(民主)
         「教義セミナー」「議員の集い」には出席した
記憶がある(それ以外は否定)
田名部匡省
(無・元農水相)
      自民党時代に同僚議員は集会に出るなど国際勝共
連合と関係が深かったが、私は関係ない(電話)
梁瀬 進
(民主・元建設政務次官)
          (11の質問についてすべて否定)氏名を勝手
に使われ、大変遺憾
松田岩夫
(無・元文部政務次官)
 食口2人
が秘書
多忙のため、回答できません(電話にて回答)
鴻池祥肇
(自民・元沖開発政務次官)
       「勝共推進議員の集い」に安倍晋太郎氏の紹
介で加入していたが活動はしていない(電話)
月原茂皓
(自由・元郵政政務次官)
    夫人がアジア
婦人連合会員
アンケートにはいっさいお答えしないことに
しています
※警視庁公安部の『勝共推進議員名簿(衆・参)』(93年9月作成)にあった衆参両院議員249人と勝共連合からの派遣秘書43人の名簿をもとに、現職議員128人をリストアップしたもの(所属政党は現在のもの)。
※週刊現代から11項目の質問書を送った回答が右端の「編集部からの取材に対する回答」(但し書きのないものはFAXでの回答。電話による回答は、「本人」とある以外は秘書による)。
※「勝共には『まず秘書として食い込め。食い込んだら議員の秘密を握れ。次に自らが議員になれ』という文鮮明の指示が出ている。このリストにはないが、実は橋本さんにも2人ついています。現在も私設秘書を務める地元・岡山のO氏と東京のY氏が統一教会員です」(元統一教会員・A氏(40歳))という証言もある。
※詳しくは図書館で『週刊現代』をご覧ください。



■『統一運動・統一教会に賛同する人々(日本)』

 統一教会系WEBページ(http://www.chojin.com/person/jp.htm)には誇らしげに各界の人名がリストされている。このリストには各々が表明した統一教会への賛辞も載せられている。載せるのに適切な賛辞を公表していない賛同者はリストされていないだろうから、他にもいるだろう。また、リストされていても、利用しあっている程度の人から、積極的に関与している人まで様々かもしれない。とはいえ、これほど広範に統一教会が日本に食いこんでいることに危機感をもたないとしたら日本人としての『愛国心』がないんじゃないかと思う。

統一教会系WEBページにリストされている人名(2007年3月時点):

岸信介(元首相)
福田赳夫(元首相)
中曽根康弘(元首相、財団法人世界平和研究所会長)
三塚博(元大蔵大臣、元外務大臣、元運輸大臣、元通産大臣)
松下正寿(元立教大総長、Ph.D、弁護士、元参議院議員、「文鮮明・人と思想」著者)
福田信之(元筑波大学長、理学博士、「文鮮明師と金日成主席」著者)
助野健太郎(聖心女子大名誉教授、元キリスト教史学会常任理事、皇后陛下の恩師)
金山政英(元駐韓国大使、元バチカン代理公使、元日韓文化交流協会会長)
鈴木一(元鈴木貫太郎総理秘書官、元出入国管理庁長官、元宮内庁侍従次長)
三原朝雄(元防衛庁長官、元文部大臣、元総理府総務長官)
加藤武徳(元自治大臣、弁護士、剣道範士・全剣連顧問)
相沢英之(元経済企画庁長官、元自民党税制調査会長、弁護士)
江藤隆美(元総務庁長官、元建設大臣、元運輸大臣)
弘津恭輔(元公安調査庁第一部長、元総理府総務副長官、元警察大学校長)
岡嵜格(元東京地検特捜部長、元法務大臣秘書課長、元大阪高検検事長、弁護士)
景山哲夫(元近畿大学長、経済学博士)
郷司浩平(日本生産性本部名誉会長、元経済同友会代表幹事)
西堀栄三郎(元日本山岳会会長、第一次南極越冬隊隊長、理学博士)
小牧久時(フランス国際大名誉教授、農学博士、平和運動家)
清水馨八郎(千葉大名誉教授、理学博士、「世紀のプロジェクト」著者)
安藤豊禄(元小野田セメント社長)
飯田正一(北大名誉教授・医学博士、薬理学専攻)
池田和義(大阪大名誉教授・理学博士、「神と万有と詩の世界」著者)
石橋一弥(元文部大臣・元自民党憲法調査会長)
伊藤行(鹿児島大名誉教授)
井上茂信(外交評論家・元産経新聞ワシントン支局長、「ゴルバチョフと文鮮明師」著者)
井上順理(鳥取大名誉教授、兵庫教育大名誉教授、文学博士、倫理学専攻)
今井勇之進(東北大名誉教授、元金属博物館長、工学博士)
今村和男(元防衛大教授、システム分析学専攻、国際科学振興財団専務理事)
入江通雅(青山学院大名誉教授、国際政治学専攻、元NHKニュース解説担当)
上前行孝(元宮地鐵工所社長、工学博士)
内田一臣(元海上自衛隊幕僚長、元海将、自衛隊援護協会理事長)
植田利喜造(元筑波大教授、理学博士、生物学専攻)
宇野精一(東大名誉教授、文学博士、スパイ防止法制定促進国民会議議長)
榎一雄(東大名誉教授、文学博士、東洋史専攻、元東洋文庫理事長)
扇谷正造(評論家、元「週刊朝日」編集長)
大鹿譲(大阪工大教授、量子力学専攻)
岡田克己(宮城誠真短大名誉教授)
岡田實(元大阪大学長、工学博士、金属工学専攻)
小方二十世(元日本基督教団・鎌倉教会長老)
加藤栄一(筑波大名誉教授、元自治省参事官)
加藤弘(東大名誉教授、工学博士、船舶工学専攻)
亀岡高夫(元農林水産大臣、元建設大臣)
亀川正東(琉球大名誉教授、文学博士、日本ペンクラブ名誉会員)
河部利夫(東京外大名誉教授、東京国際大名誉教授、文学博士)
気賀健三(慶大名誉教授、経済学博士)
北川石松(元環境庁長官、元衆議院外務委員長)
木屋隆安(元時事通信社・社会部長、中外ニュース主筆)
九嶋勝司(元秋田大学長・名誉教授、東北大名誉教授、医学博士)
工藤重忠(元桐蔭女子短大学長、憲法学会常任理事、法学博士)
黒坂富治(富山大名誉教授、音楽家・作曲家)
伍堂輝雄(JAL=日本航空元会長)
小森義峯(元憲法学会理事長、元国士舘大教授、法学博士、伊勢神宮評議員)
小山福松(元中京大学長、商学専攻)
近藤正栄(神奈川大教授、神学・英文学専攻、「神主義への道」著者)
桜井一(上武大元教授、単立シャローム第一公会牧師)
桜田淳子(女優)
佐々保雄(北大名誉教授、理学博士、地質学専攻、「日韓トンネルプロジェクト」監修)
佐藤正二郎(元広島大教授、音楽家・作曲家、元広島交響楽団常任指揮者)
慈雲(宗教法人妙法山貫首、霊能者、画家、スリランカ国立コロンボ大名誉教授)
東海林孝正(九州共立大教授、経営学専攻)
白井浩司(慶大名誉教授、フランス文学専攻)
菅原喜重郎(元衆議院議員、世界平和超宗教超国家連合共同議長)
杉田一次(元陸上自衛隊幕僚長、日本郷友連盟名誉会長、元東久邇宮内閣秘書官)
杉本儀一(元杉本興業会長)
鈴木瞭五郎(元航空総隊司令官、元空将、元川崎重工顧問)
副島宏(元九州学院大教授、航空工学専攻、F1開発者)
田井友季子(作家・日本ペンクラブ会員、「神の代辯者」著者)
高田源清(九大名誉教授、元西日本短大学長、法学博士、法律学専攻)
高田秀二(元共同通信編集主幹、元日本記者クラブ理事長・名誉会員)
高橋磐郎(筑波大名誉教授、数学専攻)
高橋賞(関東学院大名誉教授・元学長、工学博士、機械工学専攻)
高橋正和(国士館大教授、哲学専攻)
竹田五郎(元統合幕僚会議議長、元川崎重工顧問、軍事評論家)
谷藤正三(元北海道開発庁事務次官、元建設省都市局長、日大教授、工学博士)
田丸徳善(東大名誉教授、元日本宗教学会会長)
近松良之(元筑波大教授、養護施設ひかりの子学園園長)
築山治三郎(京都府立大名誉教授)
徳田敦子(バドミントン元世界チャンピョン、「やっぱりこの人が一番」著者)
中島衛(元科学技術庁長官)
中西武雄(東北大名誉教授、農学博士、農芸化学専攻)
中村信一(日本基督和協教会牧師、画家)
那須聖(外交評論家、元毎日新聞ニューヨーク支局長、「牢獄の救世主」著者)
生田目修(元航空自衛隊幕僚長、元伊藤忠エレクトロニクス顧問、ISC顧問)
西俣昭雄(亜細亜大教授)
西山廣宣(曹洞宗大満寺住職)
二宮信親(元月曜評論社社長、元読売新聞社出版局長、元ラジオ日本・常務取締役)
野間繁(明治大名誉教授)
長谷川太郎(福岡工大元学長、山形大名誉教授、工学博士、電波工学専攻)
服部比佐治(元駐ヴァチカン大使、元駐イスラエル大使、元防衛庁参事官)
濱田敏郎(慶大名誉教授、元日本図書館協会理事長)
林健太郎(元東大学長、元参議院議員、元国際留学生協会会長)
林田隆(元昭和炭酸会長)
一松信(京大名誉教授、理学博士、数学専攻)
福尾券一(名古屋工大名誉教授、理学博士、鉱物学専攻)
福見正子(伏見稲荷大社・因島土生教会長)
法眼晋作(元外務省顧問、元国際協力事業団総裁、元国策研究会長)
細川隆一郎(政治評論家、元毎日新聞編集局長)
堀江正夫(元参議院議員、日本郷友連盟会長、英霊にこたえる会会長)
松井七郎(同志社大名誉教授、元ロックフェラー財団特別研究員、労働法専攻)
松金久知(元陸上自衛隊東北方面総監、元日本製鋼所特別顧問)
峯 弘(メノナイト教会牧師、元釧路短大講師、新自然塾塾長)
箕輪登(元郵政大臣、元衆議院安全保障特別委員会委員長、医学博士)
三村勉(日本ハープ音楽振興会理事長)
三村寛子(スーパー・メディテーション指導家、こども環境教育研究所長)
宮内俊之(元伊藤忠商事理事、元アラビア石油副社長)
武藤宗英(身延山久遠寺・報恩閣住職)
武藤正行(国士舘大客員教授、元海軍兵学校教授、元東和大教授、日本思想史専攻)
両角宗晴(信州大名誉教授、工学博士、機械工学専攻)
山口彦之(東大名誉教授、農学博士、世界平和教授アカデミー代表理事)
山崎仁(横浜商科大教授、関東学院大元副学長、元大蔵事務官、流通経済学専攻)
吉江誠一(元陸上自衛隊幕僚長、元国家国務員共済組合連合会・常任理事)
吉田康彦(元国連本部主任広報官、元NHKジュネーヴ支局長、大阪経済法科大教授)
嘉村祐一(元青山学院大教授)
吉本千禎(北大名誉教授、医学博士、医学工学専攻)
リーガル天才(漫才師、漫才協会・第4代会長)
渡辺久義(京大名誉教授、創造デザイン学会代表、英文学・哲学専攻)

■統一教会は米国の政治勢力と深い関係
別冊宝島Real, 070『謀略の昭和裏面史』黒井文太郎[編著](2006年)より:

統一教会は韓国人牧師・文鮮明が昭和29年に創始した新興宗教だが、 昭和36年、韓国で朴正煕がクーデターによって政権を奪取した直後から、 情報機関「韓国中央情報部」(KCIA)と協力関係を結び、その庇護を受けて 勢力を急速に拡大した。
戦後ソ連共産党のアジアでの工作活動に対抗すべく、アメリカでも反共団体やCIAが 中心となって、アジアでの反共ネットワークの構築を画策していた。昭和29年には CIAの肝煎りで「アジア人民反共連盟」(APACL)が結成されていたが、昭和40年に 日韓条約が締結されると、その院外団的勢力として、各国の民間右翼団体による ネットワークの結成が模索された。そこで中心的な役割を果たしたのが、韓国では 統一教会(文鮮名)、日本では笹川良一だった。

統一教会はKCIAと手を結んだ直後から、崔翅翼(日本名・西川勝)という幹部を 日本に送り込み、「原理運動」を開始した。このとき崔に協力したのが笹川だった が、そこにはおそらくKCIAと米CIA、あるいはアメリカの反共団体の協力要請が あったものと推測される。

笹川は昭和38年に統一教会の顧問となり、支援した。統一教会は笹川の影響力に よって政財官界、とくに自民党と警察組織に浸透したといわれる。

一方、「原理研究会」を組織して若者を勧誘した。昭和37年に立正佼成会の幹部の 久保木修己が統一教会に合流し、昭和39年に会長に就任する。

昭和41年に、統一教会がホストを務めて「世界反共連盟」(WACL)が韓国で結成 された。世界中から反共団体が参加したが、それらは事実上、CIAと米反共団体が 組織していたネットワークだった。
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下側の写真がジョン・シングローブ少将(CIA創設メンバー)

昭和40年代半ばから昭和60年頃まで、WACLの会長を務めたのが、極右軍人の ジョン・シングローブ米退役少将(CIA創設メンバーの一人で暗殺や秘密工作専門の特殊戦争統合司令官、後に在韓・国連軍司令官(※実質的なKCIAトップ?)になっている)である。

KCIAの公認で、統一教会が「国際勝共連合」を創設したのは、昭和43年1月だった。 日本での組織化の後ろ盾となったのが、またもや笹川良一と岸信介だった。日本 でも、久保木修己を会長とする国際勝共連合が活動を始める。笹川は名誉会長と なった。

昭和53年に米下院国際関係委員会のレポートで、統一教会=勝共連合とKCIAの 深い関係が暴露された。

日本でも日本共産党が統一教会系の政治家のリストを公表した。当時の福田赳夫 首相をはじめ、現職閣僚から16人、自民党議員155人、新自由クラブ議員4人、 民社党議員5人というリストだった。

関係が深いのは、韓国ロビーに近いか、反共右翼色の強い人脈ということになる。 政治家では岸信介、福田赳夫、椎名悦三郎、中曽根康弘、財界人あるいは右翼や 学者では、これらの政治家の周辺にいる面々ということになる。

(追記;2013/3/4) 文鮮明は2012年9月に死去した。自民党の安倍晋三は葬儀に弔意を見せている[71]。

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# by rakusen21 | 2015-03-15 13:38 | この世の闇に巣食う者たち | Comments(0)

戦後も変わらない天皇日銀欧米支配:戦争推進と潰された3.11経済戦争布告(政府紙幣発行)

 戦後、米国GHQにより天皇支配は崩壊したように思わせられていたけど、実態は憲法という羊の皮を被せられただけで、本質の狼に変わりはない。
 それは世界人権宣言に違反する憲法1条から8条の天皇規定を見てもすぐわかる。しっかり天皇制は温存されているのだ。ただ「天皇制温存は仕方なかった」と思わせられている。実際、この手法はアジア・アフリカなどの国家紛争の解決でも使われている手法と同じで、虐殺などを指揮した犯罪人をその国の大統領に据え統治させる方法だ。一見、あれっ?、と思われるだろうが、それも紛争解決の方法なのだと言う。

 まさに同じ手法が日本の戦後にも適用されたのだ。

 さらに天皇制礼賛(らいさん)の洗脳がマスコミにより行われているが、
最近、それをひっくり返すような驚愕の真実が次々とわかってきた。

 実は明治維新以来、歴代の天皇は英国から日本の「キリスト王族」トップとしてのガーター勲章を授与されており、英国の陸軍元帥の称号も授与されていたのだ。
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現在は右側の真ん中頃に皇室の菊の紋章
 Wikipedia ガーター勲章
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 天皇も連合軍とグルだった!
天皇は単に戦争ゲームのプレイヤーで
資産を増やす事に御執心!
昭和天皇は英国の陸軍元帥だったと官報の記事
 日本国民を焼き殺したのは昭和天皇ですか?」

…1930年英国官報 Emperor of Japan, to be Field-Marshal1942年タイムズ英国陸運省「除名の必要なし」

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 さらには、天皇日銀の私的独占に反対し2009年3月11日に麻生太郎氏が宣言した「政府紙幣発行」日銀に対する宣戦布告)も、直後に行われた選挙により自民党は野党に転落し、実現されることはなかったのだ。

無利子国債・政府紙幣の検討表明=麻生首相「いいことだ」
2009年3月11日


麻生「ボス!いったん、こいつに牙(憲法9条改正)を戻したら、
日米地位協定(SOFA)があるんだから、
自衛隊(JapanSDF)の本当のボスがわかっちゃいますよ!」
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どひゃー、諸悪の根源は天皇一族だった!~天皇は莫大な蓄財を行うために、財閥と組んで国民を売りとばし、戦争を仕掛けて国民を殺してきた「昭和天皇&財界の為の戦争 アヘン事業 侵略ビジネス


コレけっこう衝撃なのでぜひ→戦前に最強財閥だった天皇家!天皇家と政治家癒着が凄すぎワロタwww より「昭和天皇 庶民が知らないところで、戦争によって多くの資産を蓄える事に成功しました」「天皇財閥は4大財閥の10倍程度の規模」



 もう、いい加減、日本国民は目覚めた方がいいのではないか、と思う、今日、この頃である。


いまだに天皇制に反対する人達を取り締まる特高がいた!
「天皇差別をなくせ!天皇を解放しよう!天皇に敬語を使わない!」
世界人権宣言 第一条
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、
かつ、尊厳と権利とについて平等である」



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# by rakusen21 | 2015-03-08 09:51 | この世の闇に巣食う者たち | Comments(0)